グゼラについて
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グゼッラ日本上陸にあたって

初めてプリミパッシを見たのは、2002年の夏の事でした。あまりの美しさに驚き、また、その靴が、子供の脚をまっすぐに成長させると言われていると知り、もう一度驚きました。我が子に履かせたいと思いましたが、日本では手に入らないとわかり、落胆したのを覚えています。豊かで物があふれている日本で、まだ手に入らない、素晴らしいものがイタリアにはあるのだと、感心しました。

2008年3月まで、イタリアのラグジュアリーブランドに16年間勤務していましたが、そのきっかけとなったのは、一冊の雑誌の表紙に載ったリングに魅せられたからです。一目で衝撃を受けた私は、当時はまだ世に広く知られていなかったその会社に入りたいと切望し、1年半かかって、ようやく社員となれました。その喜びを今でも思い出します。2007年末に、長年愛し続けた会社を去ることを決めた後は、真夜中の暗い海に漂っているような気持でした。 そんな時、会社を辞めると話した高校時代の友人が、健康のためのオーダーシューズの店を持つのはどうか…と、連絡をくれました。その話を聞いて、私にはピンと来るものがありました。前職のお客様は、努力のあと他人がうらやむ物全てを手に入れられた方が多かったです。そのような方たちが、暗い顔をされていた時は、「腰が痛いから」でした。美しく、有能で、会社の将来を担っていくだろう社員が辞めてしまう理由は、「腰痛」でした。何度「何とか腰痛が治らないものなのだろうか?」と考えたことでしょう。きっかけを与えられた私は、セミナーや学校に通い、足と脚、靴と腰痛について学び始めました。しかしながら、あまりにも奥が深く、「これで大丈夫」という靴を作り出すことは、にわかに勉強した私には不可能だと日々思い知ることになりました。

そこで、記憶に甦ったのは、2002年に感銘を受けたあの美しいイタリアの子供靴です。O脚やX脚を防止し、正しい股関節形成のために研究を重ねられたというあの子供靴。美脚はおのずと腰痛や脚足の痛みを引き起こさないというあの理論。起こってからだと治すのは難しいので、未然に予防するという方法があったことに思い至りました。 記憶が薄れていたブランド名を調べ、今なお日本では手に入らないと知りました。日本から電話をかけ、アプローチを試みましたが、うまくいきませんでした。しかし、どうしても日本の子供達に紹介したいという強い気持ちにつき動かされ、何の約束もないまま、ミラノへと旅立ちました。そして、ミラノで最も賑わっているドオゥモ近くのエリアにあるGusellaショップに手紙を置いてきたのです。Gusella社の子供靴への私の気持ちを記したものです。その時点では、これで返事がなかったらあきらめようと考えていました。

ミラノから帰ってきた夜、Gusella社のマルコという人からメールが届いていました。「あなたのプランを聞かせてほしい。」というものです。それを読んだ時は、それこそ、飛び上がるほど嬉しかったです。それは長い長いマルコと私のメールのやりとりの、まさに「プリミパッシ」だったのです。 そのやりとりを通じて、Gusella社が創業以来80年間、Gusellinoシリーズを、自社工場で1点1点手作りと言える製法で生産し続けていること、マルコはファミリーの第3世代で、実兄が現在の社長であること、Gusella社は頑なにイタリア国内での販売にこだわってきたけれども、彼ら第3世代は、世界に目を向けようとしていること、等々を知りました。彼らの自社の子供靴を愛する気持ち、その自信と誇りを知るにつれ、ますます、日本に紹介したいという気持ちが強くなっていったのです。 いよいよ契約という時にマルコから告げられました。 「Gusella社は小さい会社だけれども、毎日世界中からオファーがある。僕らが今回最終的にあなたに返事を出したのは、僕らの子供靴への想いを共有できると、大切な子供たちのために、という気持ちを共有できるとわかったからだ。僕らには『ただ売れればそれでいい』なんて考えはない。おばあちゃまから、ママへ、ママから娘へと代々愛される、良いものを作り続けたいんだ。」

80年の歴史を持ち、イタリアでは愛しまれ恵まれた子供たちが、こぞって身につけるというGusella社のGusellinoシリーズを今回日本で販売できることを、本当に嬉しく思います。これらの靴を通して、子供たちの将来の健康と美意識の研鑽に貢献できればと願ってやみません。

平成20年12月16日
株式会社TAKINO 代表取締役社長
室野 充代

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